souan-1969のブログ

熱しやすく冷めやすいままで生きていく

くちなしの白いはな

気がついたら

くちなしの花咲く季節になっていた。

樹木のメンテナンスが行き届いた団地の遊歩道に今年も花をつけている。


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往年のムード歌謡曲が鼻歌ででる。

『いまでは、指輪も回るほど

痩せてやつれたお前の姿、、、

くちなしの花の花のかおりが旅路のはてまで付いてくる』

なるほど、なるほど

そんなくちなしのかおりはどんなものかと

白く肉厚の花弁に鼻をちかづけてみたところ

想像を裏切る濃厚さであった。

儚さなんて、

これっぽっちもない。

花弁の肉厚さと比例するような

甘く重いかおり。

今さらながら、ムード歌謡の大人っぽさを感じてしまう(あの頃は、幼稚園児だって歌ってたけれど)

 

しかし

これは嗅いだことのあるかおりと思いながら自宅に帰ると

それは玄関にあった。

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本屋の雑貨コーナーで買ったルームフレグランス『ホワイト ムスク』

これを本屋で見つけて即買いしてしまったのは、テスターのかおりが

10代後半、ちょっとヤンキーな先輩の車の匂いだったからに他ならない。(いや、あれよりだいぶ上品)

甘く重い同じ系統のかおりは

ムード歌謡と一緒で郷愁をそそられる。

 

開けられる引き出しが

時々こうして出現するこの年月が

なんかいいなと思う。

幸せだ。

不機嫌を隠さず

何事も我慢がきかないお年頃。(いいえ、昔から。)

 

わたくし今日は朝から

かなり怒ってイライラしておりました。

本当に些末な事柄でです。

ムシノイドコロガワルイという雰囲気を辺りに撒き散らしておりました。


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こうやって苛立つ自分に

ほんと疲れる。

でも、今日は謝らない。

自分によくにたタイプの

よくにた自分勝手な振る舞いをした同僚に

すごく腹がたった。

その人の行動をみて

自分の振る舞いを反省はしたけれど

だからって

寛容にはならない。

そういうとこが自分勝手だから。

 

今日は一日中

目を三角につり上げていたに違いない。

 

すばらしき世界~シネマ

 昭和館小倉のシネマパスポートを購入したので、半年間は映画が見放題になる。

お得に映画をみさせてもらうので、

売店での買い物を自分に義務付けている。と、言い訳してダイエット中だか


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甘いポップコーンを購入する。

 映画『すばらしき世界』は、北九州が誇るルポライターて小説家の佐木隆三さん「身分帳」が原作で、西川美和さんが監督を務めた作品だ。モデルは実在の人物で、人生の大半を刑務所で過ごした主人公の出所後のお話である。


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 主人公三上正夫役は役所広司さん。一度道を外した人に不寛容な社会と、反対に受け入れる人々を描いているが、きれいごとではないこともよく表現されていた気がする。直情型の主人公がすぐにキレて投げやりになる様子、出所した元受刑者の、部屋の整理整頓が行き届いていたり、ケースワーカーを「先生」と呼んでしまうところ、返事の声が大きいことなど。ディティールが「あるある!」とおもうことがよくでていた。(私も「先生」と呼びかけられたことがある。)

 福祉事務所やケースワーカーも出てきたが、一方を善、他方を悪(例えば、可哀想な主人公と冷たい行政という表現)ということにはせず、多少残念な表現はあったにせよ、担当のクライエントに真摯に向き合っているケースワーカーの様子は、現役のケースワーカーとして納得できる内容たったように思う。

 

不寛容と一言でいうけれど、巷を席巻している多様性という言葉どおり相違を受け入れていくということ自体、現在進行形の社会課題だと思う。少しずつ包括的な社会に進んでいけばいいなと思っている。

 

もう一本は(2本立なので!)

『聖なる犯罪者』(ポーランド、フランス)

少年院を仮出所した主人公が、偽って小さな街の司祭になりすました話。

ほっこり映画ではない。なんとR-- 18成人映画(エロくはない)

ひとことていうと

「あやうい」物語で、私的には終わりかたが微妙な映画だった。

 

やっぱりヨーロッパの映画って苦手。

 

そして 

帰りにはお決まりのお買い物 

旦過市場


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北九州

サイコー

 

日の高い時間の帰宅


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あんなに小さかった 

鉢植えのトマトがぐんぐん育ちます。


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実もつけて

色づくのを待ってる。

駐車場からベランダを見上げると

生い茂った(大げさ)トマトが見えて

ひとりほそくえんでしまいます。

時々水やりを怠ると

これでもかという程萎れてびっくりしますが、水をあげるとすぐに復活。

 

コロナ感染予防のため、職場は希望シフト制となっており、私は6月から7:30出勤をしています。 

朝が弱い私は不安もありましたが、

非常にはまってます。

早出は人が少ないし、電話がならないので仕事がはかどります。

コピーもプリンターも待たなくていい(紙文化なので)

なにより通常勤務の時は、仕事を上手に切り上げられず、なかなか帰れなかったけれど、

今は、さっと切り上げて退勤しております。

はやく帰れるって


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サイコー。

 

 

 

 

 

世界の中心で年齢的価値観を叫ぶ

「40代でホットヨガとか行きます!?その歳で無いですよね。」と20代前半の同僚が向かいの席で話しているのを聞こえないふりをして聞いていた。

 そうだ。20代からすれぱ40歳とは未知の年老いた年齢に見えるものなのだと、私は新鮮に感じるとともに懐かしさを感じていた。その子らからすると、私の50代という年齢は、枯れた世代にカテコライズされているに違いない。

 10代~20代って、世界は自分を中心に回っていて、あらゆる消費の中心は自分たちが担っていると思っているのだろう。事実、20代前半当時の私もそう思っていた。

 ところが、自分の年齢かあがってくるとそれくらいの年齢の回す経済なんて実は余りたいしたことなくて、年齢があがるとともに、より挑戦する心や没入や、かけるお金が深まっていき、どんどん元気で明るく情熱的になり、いろんなことが気にならなくなって自由になってくるのを体感するのだ。(例にあげるのも語弊がある社会的抑圧とか個人や家の価値観とかから解放される。)

 そうして、人から年齢を揶揄されようが、(別に今回揶揄されたわけではないけど)それすら不思議な感覚で受け入れる余裕も生まれるのだろう。

 その価値観を変化させる要因のひとつに、私のまわりの先輩方がすごく素敵に生活をおくっているのを見せてくれてるということがある。これからもっと楽しい人生があるのだと、背中で教えてくれている人が本当にたくさんいるからからだと思うのだ。

 20代をすぎても、ずっと楽しく暮らせることを私も後輩たちに魅せれたらいいな。と、思う。ところで、その件の20代の同僚の話を「そうだよね。」と優しく聞いてくれているT さん。すごく若く見えるけれど、実は40代後半だという事実を遅かれ早かれその20代同僚も知ることになるだろう。その時、40代は人生の終わりではなく、自分らしい素敵な人生がずっと続くのだとわかると思うのだ。

ほたると先生

「今からホタルを見に行きませんか」とお茶の先生から連絡があり、私はふたつ返事で出かけることにした。

 土曜日の午後8時半、ホタル鑑賞にもってこいの時間だ。以前から井手浦浄水場がおすすめたと先生から聞いていたけれど、今日、用事で家の近所まで来ていた先生が、その話を思い出して誘って下さったのだ。

 田舎育ちたけど、ホタルはほとんどみたことがない。ホタルが飛ぶような場所に、夜出掛けるのが怖いからだ。井手浦浄水場も、その名前のイメージから、勝手に幽霊が出るのてはないかと思い込み、先生に大笑いされた。

 井手浦浄水場は、家から15分ほどしか離れていない。私の住むエリアは住宅地でモノレールも走っているが、実は居住区である小倉南区は農家が多く、車を少し走らせるだけで、果樹園や田園が広がる。浄水場に近づくと、水をはった田んぼから蛙の鳴き声が聞こえてきた。子どもの頃は、周りが田んぼばかりだったため、春の雲雀と初夏の蛙の声は聞き慣れたものだったのに、ずいぶんと久しぶりに聞いた夜の声に懐かしさを感じた。

 おどろおどろしい想像をしていた井手浦浄水場は、広々とした敷地とたくさんの街灯に照らされた、とても素晴らしい眺めの場所であった。例えていうなら、美しく整備の行き届いた運動公園のイメージだ。

 果たして、ホタルはいた。数匹がふわりふわりととんだり、茂みにつかまり心許なく光っていた。今日、日中は夏日だったが夜は冷え込んでいた。半袖で出掛けようとして、あまりの寒さにウインドブレーカーとショールを取りにもどったのが正解だったほどの寒さだ。そのためか、いつもなら乱舞しているというホタルたちは影を潜めているようたと、連れてきてくれた先生はがっかりした様子だった。しかし、もともとホタルを見る機会の少ない私としては、ホタルが飛んでいるだけて大興奮である。

 井手浦浄水場の神秘的な美しさ、そこから見上げる平尾台の、夜空に浮かぶ稜線が絵本のようにすばらしい。季節を味わうという素晴らしい体験だ。さすが茶人。

 そのあと、高槻の金山川、熊谷の小熊野川とホタルの名所を回ってみる。北九州はホタルの名所が多いことも初めて知った。高槻は山手にあり気温もより低く感じられて、ホタルの姿は見られなかった。

 帰り道に寄った熊谷は、北九州市ホタル館があるなど保全に力を入れているエリアで、川沿いには観賞用デッキも備わっている場所だった。鑑賞客の姿もあちこちにみうけられる。ぱっと見ただけて、たくさんのほたるがいるのがわかる。数が多いと光も自信ありげに発光しているようだ。乱舞とまではいかないが、いままでの人生でみた、一番のホタルの数には間違いない。

 早い時間はダメ、遅すぎてもダメ、雨が強いとダメ、寒いとダメ。なんともデリケートな生き物であるが、いまこのタイミングで見る価値のあるものだと、豊かな人生を送る先輩に教えてもらう。

 ところで、そんな先生は、山道をトップスピードで駆ける飛ばしやである。車中でも、ゲラゲラと世間話をしながら、風流とはほど遠いドライブである。そんなバランスの良いすてきな人生を私もおくっていこうと思うのだ。

糠床報告

ずっと探していた山椒が

やっと近所のスーパーに出たため購入した。

目的は糠床への投入だ。

山椒は、時間がたつと黒くなりやすいので、家に帰ってすぐに枝から実を外して、沸騰したお湯にくぐらせた。

台所に爽やかな香りが漂う。

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古い団地の台所を、たちまち古民家の厨かのごとく変身させた。
山椒とはこんなに清浄な香りだっただろうか。

冷ました山椒と、ちょっとお高めの利尻昆布を投入した。たしぬかもおこなって、乳酸菌たっぷりのキャベツを捨て野菜として糠床に埋めこんだ。

いままでも美味しかったけれど、それ以上においしくなると思うともう未来が待ち遠しい。

山椒を買ったついでに、桜チップも購入した。ブログフォロー中の腸活フードアドバイザーさんが、以前フライパンでスモーク料理を作っていたのを思いだし、挑戦することを思い付いたのだ。

そして、試行錯誤の末


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正解はわからないけれど

絶品たったから

多分正解。

やっばり、私個人は

本当にstay home を楽しめる人だ。