souan-1969のブログ

熱しやすく冷めやすいままで生きていく

高野山


桜の蕾が膨らみはじめ

春うららの最中

再び大寒波がやってくるという週末に

久しぶりに旅にでた。

4月1日に異動が決まっており

仕事と課題が山積みの年度末3月にである。

 

この頃の、私の不穏さは

職場の空気を悪くしていた。

恐る恐る声をかけてくる上司に対し

その一言一言に冷えた声で返すか、

噛みつくか2択の日々が続いているためだ。

 

こんな自身の過剰反応に、自分も疲れていた。

 

心の鍛錬ができる場所に行ってみたい

その一心で選んだのは高野山だった。

 

眠れない夜中のネットサーフィンで

手頃な宿坊がちょうど一部屋空いていたのを見つけ

わたしはすぐに予約して、次の日ガイドブックを買いに行った。

 

旅行当日は、予報どおりの寒波で

気温がぐんと下がっていた。真冬用のダウンにヤッケ、足元はゴアテックスの登山靴、通勤用の小さなリュックサックに必要最低限の荷物だけ詰め込み始発新幹線で小倉駅を出発した。


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新大阪から御堂筋線でなんばへ。

なんばから南海高野線特急こうやに乗り換え極楽橋駅へと向かう。

極楽橋駅から、朱色の極楽橋が見えたが、あの橋が高野山の結界だそうだ。


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沢山の観光客を予想していたが

特急こうやの乗客は少ない。

極楽橋駅から高野山ケーブルカーに乗車した際、急に外国人で満員になったものの

高野山駅に着き、バスに乗り換えると、

あの外国人はどこにいってしまったのか不思議になるほど閑散とした。

 

まずは「高野山観光情報センター」に寄って

お勧めルートを聞いてみる。

ここも、お客は私一人であった。

観光センターのスタッフが徒歩で回れる最適ルートと

写真スポット、今から食べるランチのオススメ店を

丁寧に教えてくれた。

スタッフ2名の内一人は外国人で

「nice shose&coat!」と私の重装備を褒めてくれた。

その後流ちょうな日本語で「今日は雪が降るから。その格好は正解です。いいね。」と重ねた。

 

宿坊の食事は精進料理が出るため

ランチは精進料理じゃないところがいいかと聞かれたが

精進料理を所望した。

 

観光情報センターから霊宝館へ

弘法大師の肉筆書状」があると聞いて行ってみたが

それがどれかはわからず、あったかどうかもわかならい。

ただただ、間近で見る木彫りの仏像に圧倒された。

 

足利尊氏が奉納した血曼荼羅(カラーコピー)に

歴史の長さと深さを感じ

彩色に血を使用したという

人の行いの生々しさや業や

神仏への帰依を感じ入った。

 

蓮池から回り

金堂、壇上伽藍、西塔、根本大塔、金剛峯寺

左回りで参拝した。

人はちらほらとしかいない。

曇天の中、ゆっくりゆっくり見て回った。

 

宿坊は、金剛峯寺近くの福智院であったため

金剛峯寺を参拝した後に宿坊にチェックインした。

 

歴史のあるお寺なので

広い廊下はよく磨かれており

黒く光っている。そして日本家屋特有の寒さがある。

しかし、私の泊まる部屋は、最近改装したらしく

和室と洋寝室のある高級旅館のようであった。

2階で窓にかかる障子をあけると

美しく手入れされた中庭が見える。

大浴場は入浴可能とのことで

すぐにお風呂に向かう。

ここでも、私はひとりであった。

 

夕方から雪が降り出し

窓から見える木々を白くしていく

「明日帰れるかな。」独りごちしながら

しんしんと降り続く雪に埋もれていく中庭を見る。

 

夕食は回廊に囲まれた大広間で

ついたてで仕切られた場所に

膳が並んでいた。

膳は廊下側を正面にして置かれており

後ろの並びの人とは背中合わせになっている。

膳の数は思いのほかたくさん並んでいたが

座って食事をしていたのは

数人であった。

 

食事は上品でおいしかった。

味噌汁は白味噌仕立てで

昆布としいたけでとっている。

コクを出すために豆乳も使っているとのことだった。

体の中から浄化される気がする。

 

写経体験は夜のオプションとなっており

その日の体験者は5名。

写経室に指定された時間に行き

そこにいらっしゃった僧侶にお金を払うと

写経用の用紙と筆ペン、参加記念の数珠を渡された。

 

僧侶は、お金を確認しさっとクリアポーチにしまうと

「では」と行ってしまわれた。

お習字は久しぶりである。薄く書かれた般若心経を筆ペンでなぞっていく。いろいろな雑念が湧き上がっては消えていった。

気がつくと

親子らしい3人はすでに書き終わって部屋に帰っていた。

書き終わった写経用紙は、お寺に奉納していただけるということで

正面のお盆に置いておくことになっていた。

多少の習字の心得がある私は、自分の書き終わった用紙を少し得意げな気持ちでお盆に置きにいったが、すでに置かれた写経の字の素晴らしさにため息がでた。

ささっとしたためて退出した親子がこんなにも達筆であることを

想像もしなかった自分の傲慢さがなんだか恥ずかしい。

 

翌朝朝の勤行に参加する。

朝本堂に向かい座っていると、どこにいたのかと思うほどの人が本堂に入ってきた。広くない本堂は人でいっぱいになり、ぎゅうぎゅうのまま座って朝のお勤めを行う。この旅一番の人を見た。

 

宿坊を早めに出立し、女人堂、奥の院へ。

雪は残っていたが、交通機関をマヒさせることもなかった。

はたして女人堂は私一人であった。

 

高野山は不思議な場所であった。

細長いエリアにたくさんの仏閣が並ぶ

神仏習合のなごりで寺院と鳥居が混在する。

 

どこに行くにも何をするにも拝観料や料金が必要であり

観光地のようなイメージも持ったが

ここにしかない独特の空気はある。

 

帰りの極楽橋駅に羽の形の絵馬を奉納するスポットがあったため

100円を払って絵馬を書いた。

「心の鬼がしずまりますように。」

そう書き付けて

また来たいと手を合わせた。

 

 

 

 

 

 

寝ても寝ても

土曜日にひとり芝居を観に行った。

ベテラン俳優が

舞台上で着替えをする姿も見せながら

ちょっとクセのある人を演じるあのお芝居。

 

去年から

すごく楽しみにしていた公演だった。

 

のに、

座ってしばらくしてからの

記憶がなく

気がついたら

90分経っていた。

爆睡してしまっていた。

 

日曜日は講演会だったが

最初の挨拶を聞いた後

終了時の拍手で目が覚めた。

連チャン。

 

最近

眠たくて起きれないという

夢を

たびたび見る。

 

怖くなる。

万古不易

「トイレはあるの?」と

母が言う。

「お風呂はついてるのよね。」と重ねて聞いてきた。

 

私は、腹のあたりから

苛立ちがこみあげてきたが

グッと我慢する。

 

昨日

母が、私の住むワンルームマンションに、初めてやってきた際の開口一番の言葉がこれだった。

 

台所を見ながら「これくらい狭いほうが。これからはいいわよね。」と言った母に、とうとう私は

「片付けられない人は住めないよ。」と硬く尖った言葉で返した。

 

物が捨てられず、片付けが苦手な母は、使いもしない大量の食器類、お弁当についていた割り箸やソース類をキッチンの引き出しにびっしり詰め込み、冷蔵庫の中の賞味期限切れの調味料を捨てようとしない人ため、私は帰省の度にきつく言ってしまっていた。

 

昨年から「仕事辞めて、実家に帰ってきて住めばいい。」と母が言い出した。

私がどんな仕事をしていて、いくら稼いでいるかも全く興味もなく、先の見通しも立てないままのあまりにも非現実的な提案である。

 

さりとて、母は高齢であり、私としても心配ではあるため、妥協点として「母が私の住む市にくる。」ことを検討する事となった。今回の母の来訪は、その下見であった。

 

ここに住むわけでもないのに、ひとしきり部屋を見て回りケチをつける。きれいにしている水回りは、褒めも腐しもせず「狭い」と言った母に、私がきつく言い返し機嫌を損ねたため、その後母は居心地わるそうに椅子に腰掛けていた。

 

そうだ、母はこういう人だった。昔から悪びれもせず私の神経を逆なでする人であった。小さい頃から、私のほしい回答はひとつも返ってこなかった。そのため小学校高学年頃から20歳で家出同然に家を出るまで、良好な関係は築けず事務連絡以外の会話がなかった。

 

ずいぶん大人になって、会話ができるようになった際に

「長い反抗期だったね。」と言われ

苛立ちの原因が、子どもの頃と全く変わらないことにあの時気がついたが、

今回は、母を許せていない自分を再認識した。

 

帰宅する母を新幹線乗場まで送り

私は自宅に帰宅した。

なんだかホッとして

玄関框に脱がれたままにおいてある母のはいていたスリッパを見て

一緒に暮らすのは無理だと思った。

 

この冬の近況

家のドアで

左足の小指をしたたかに打ち付けて

1ヶ月間たったが

いまだに痛みが引かない

実は骨折していたのかもしれない

 

先々週の帰宅中

家の前の横断歩道で

ちょっと足をはやめた途端

きれいなバンザイで転倒した

右手に持っていたスマホ

画面から地面に叩きつけた

 

足の小指はジンジン痛く

スマホの画面は斜めに割れている

転倒時に擦りむいた

膝小僧は

ジクジクしたまま

治らない

 

こういうことか!

 

地味に老化が効いてくる

 

 

大人の遠足〜糸島キャンプ

いつもの元気印5人で

糸島にキャンプに行った。

キャンプと言っていいのかあやしい

『手ぶらでキャンプ』という謳い文句のお泊りだ。
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HIDEWAYという

糸島の老舗カフェSUNSETがプロデュースしたキャンプ場は

福吉の海沿いにあるしゃれた施設で

グランピングとは謳ってないけど

おそらくこれがグランピングではなかろうか(行ったことないのでわからないが)と思える設備がある。


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宿泊はテントだか

ベッドで寝る。

テントも屋根付きの東屋の下に設営されていてもちろん電気もある

トイレはウォシュレット

シャワーもなんだか高級ホテルのバスルームについているような洒落たやつ

タオル、バスタオル

歯ブラシ付き

おまけに

朝食は、系列のカフェ カレントの焼き立てパンが届くという素晴らしすぎる内容の

 

キャンプ、、、

 

唯一キャンプらしいといえば

夕飯にバーベキューを行ったこと。

 

そんなバーベキューで、私達の技(主婦能力)が冴えわたったのは材料の調達力だった。


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ちょうどよくキレイに

食べたいものが

食べきれる量だけあった。

過不足ないバーベキューって

凄すぎん!?

そして、

出たゴミ最少、SDGs

それぞれに家庭を切り回してきた主婦力5人の能力は感動しかない。

 

この日の天気は

暴風雨で(キャンプなのに)

大荒れの天気の中(でも東屋の下で)

ほんとに食べて、飲んで、しゃべった。

人生経験積んだ人達の集まりって

すごく愉快で楽しい。


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結構最近だけど、

私の中から、若い時からずっとあった強烈な欲とか見栄とか虚栄心とか嫉妬とかねたみとかが、ある時をさかいにストンとなくなった。そういう強烈な感情から解放されて以来、本当に自由になった気がする。

もちろんそういう感情がゼロになったということではなく、『憑き物が落ちた』という表現が正しいかもしれない。

 

そして、

この、

時々連れ立って大人の遠足に行く

気のおけない面々も

多かれ少なかれ、そんな突き抜けた境地にいたっているような気がする。

 

『腰痛い』『膝痛い』『目が見えにくい』とか身体は不自由になっていくが、心はだんだん自由に軽くなっていく気がする。

歳をとるって、本当にわるくない。
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3日目 御船町恐竜博物館


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再びの桜町バスターミナルから御船町に出発。

 

今日は、御船町恐竜博物館へ行ってみる。5月5日こどもの日なので、イベント情報を確認するためホームページを見ると、事前にネットにて入館予約が必要だと書かれていた。予約は10時台までは満員になってが、無事に11時台に予約できた。予約なしで行って入れないところだった。危なかった。

 

御船町恐竜博物館は久しぶりだ。ここには(一方的に)お気に入りの学芸員さんがいるので、会うのが楽しみだ。

40分程バスに揺られ、入館予約時間にちょうどいい時間に到着すると、入口は黒山の人だかりだった。入口で「事前予約の方のみ入館できます」とアナウンスしている職員さんと「えーっ、なんだそれ。今日はいれんの?」と訴える親子のやり取りを横目で見ながら入館。ちなみに入口でアナウンスしている職員さんが私のお気に入りの学芸員さんで、遠くから写真をパチリ。

お元気そうでよかった。

特別展示はポケモンとのコラボで、子どもたちに大人気だった。


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(よくできている!ポケモン骨格標本

でも、私の目的は常設展


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こちらの博物館も熊本地震で被害を受け、展示していた骨格標本が落下し破損したものもあるらしい。

しかし、いまでは元気に営業中。


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発掘体験にも参加。これは

御船群層から運ばれてきた石を割って化石を探すというアクティビティで

ひたすらコツコツ石を割るという行為は

究極のマインドフルネスだ。

今回もあっという間に

時間が過ぎてゆき

私は、きれいな2枚貝の化石を発見し

持ち帰った。

 

2024年のGWも鉄道と恐竜旅大満喫。

年々興味は尖鋭的になってきて

ますます楽しい。

これからもよい旅はつづく。

 

 

2日目 島原鉄道からのふたつ星

熊本は、カプセルホテルに宿泊。

閉所恐怖症気味だけど

カプセルホテルは大丈夫。

カプセルホテルはどこも機能的にできていて、そういう機能性の高さおよびコスパの良さが、狭さを上回っている。


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このホテルは、下通りや桜町バスターミナルに近くとっても便利な場所で

歩いて熊本城へも行ける。


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熊本地震により甚大な被害を受けた熊本城も復興がすすんでおりました。

夜の街をゆっくり歩いて、明日のバスの乗り場と時間を確認したのちホテルへ。


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翌朝、桜町バスターミナルから

7時台のバスにのる。

その前にバスターミナルの無人ファミマでおにぎりを調達した。


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こんな、全く無人のお店は初めてで、お客もいないので体験入店してみた。

間口の狭い店舗であるし、

無人レジには慣れているのでスムーズに会計して退店した。カメラはイヤってほどついているのだろうが、

昭和の人間的に『不用心だ』とかんじずにいられない。

 

熊本港行のバスにのる。

前日にバスセンターのインフォメーションで確認したら『結構渋滞するので早めのバスがいいですよ。』とのアドバイスを受けたため7時台のバスに乗ったが、人も思いの外乗ってきた。


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島原港行のフェリーに乗る。

バスの乗客のほとんどが乗船した気がする。乗船できるか不安があったが、車も乗れるフェリーで想像以上に大きかった。

本日も晴天で潮風が気持ちいい。f:id:souan_1969:20240526192634j:image


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今回の目的のひとつ『島原鉄道

以前、乗車時間に間に合わず乗れないという痛恨のミスを犯したリベンジで、

終点島原港から諫早駅まで乗車する。

島鉄はなんとも美しい路線だ。f:id:souan_1969:20240526193544j:image

海岸線や田園風景をすすむ単線がとても好きだな〜と思う。

そして一人で電車に揺られている旅が

とても幸せに感じる。


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几帳面につくりあげる行程表

気分で決められるごはんやカフェ。

一人旅は、とても性に合っている。

諫早からふたつ星乗る前に

時間があったため

長崎駅までかもめに乗ってちゃんぽんを食べに行った。

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ふたつ星は白い車体の美しい列車で

これも諫早駅から海岸線を抜けた後

武雄まで走る。残念ながら夕陽にははやかった。

 

武雄からは、在来線と新幹線を乗り継いで再び熊本へ。

今日一日で、贅沢な一周をしてきた。

本日の夕食は、熊本名物太平燕


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悲しい程のうす味だった。

 

つづく