souan-1969のブログ

熱しやすく冷めやすいままで生きていく

ちゃんと

社会人になって

父親くらいの上司に「どうしてそんなにだらしないんだ。」と言われて

さすがにショックを受けた30年前。

 

「だらしない」については、同居の祖母に子どもの頃から言われ続けていたので、筋金入りのだらしなさなんだろう。姑嫁仲の良くなかった祖母が母へのあて擦りで私に言っているんだと思ってだけれど、今考えるとそればっかりでもなかったようだ。たしかに全てにおいてものぐさでキチンとできない子どもであったと思う。

長じては「片づけができない」と(モラハラ気味の)パートナーに言われ続けたためか、

わたしは「ちゃんと」という言葉を発する頻度が多い。そしていまでも、他人の「ちゃんと」にびくついている。

もともとの能力として、片づけや整理整頓や掃除については課題があるのだろう。非難され続けた年月の長さが物語っている。以前に比べると、かなり片づけはできるようになった(躾られて)と思うけれど、それでもちゃんとできてないと感じておどおどとしてしまう自分がいるのだ。

 

先日、自宅のクローゼットを開けた瞬間、なぜか「もう、だらしなく暮らそう。」って決心した。

誰かと一緒に暮らすのであれば、だらしない事はダメかもしれない。でも今は?誰に迷惑かける?どうして自分ちでこんなにも自信をなくして生活しなくちゃいけない?

もう誰かと暮らさなければ、誰かが私を非難し続けることもない。

もう、だらしない自分を許そう。

自分なりのきれいでオッケーをだそう。

本当にダメダメなのかすらすでにわかんないけど、ちゃんとの支配がなくなるまで、

大丈夫といいつづけようと思う。

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